2017/05/17

自転車政策の健全な発展にはスポーツ自転車のみならず幅広い利用によるメリットの評価が不可欠・・・よね

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こんなことをぼんやり考えていました。




自転車にかかわる問題について、いろいろな立場があるように思います。ある方がどのような立場に立つのか、何を重視しているのかについて、このような整理がありうるのではないかと。


ただ、何を重視するか、という個人の考え方とは別に、現にどういう対策をするか、については、単に「好き好き」ではなく、一定の判断は可能なように思えます。

例えば、個人努力重視/環境調整重視の選択については、問題を解決するにあたって、解決コストを誰が負担するか、という言い換えが可能です。個人にコストを負担させることで容易に解決できる問題であればそうすればいいですし、そうではない問題については個人につけ回すより社会(=税金)で負担した方がいいでしょう。

同様に、損害減少重視/利益拡大重視の選択についても、例えば目の前の損害減少だけを考えると、かえってトータルで自転車利用が減少し、得られる利益が失われるかもしれない、といったように、社会全体の利益の増減を考慮をしてある程度判断ができる問題のように思います。

現状の議論において、私が特徴的だと感じている点は2つあります。

まず、損害減少重視/利益拡大重視の点に関し、自転車の利用を拡大するメリットについては抽象的には語られているものの、具体的な数字の議論はあんまりないことです。加えて、前者の損害減少についても、歩道等での歩行者との接触事故がセンセーショナルに取り上げられており、数値を踏まえた被害減少が取り組まれている一方で、では車道を走らせたら自転車利用者の被害がどうなるか、という点について、かならずしも考慮が十分でないように感じられます。

結果、歩道から自転車を追い出すことにのみ躍起になり、それに伴って(1)車道に追い出された自転車利用者の損害が増大する可能性がある(2)車道を走ることを尻込みすることにより自転車の利用自体が減少する結果、得られるべき利益が得られなくなる可能性がある といった点が十分に考慮されていないように思えるのです。

2点目として、個人努力重視/環境調整重視についても、多くの場面で個人に問題軽減のコストをつけ回す発想に終始しているように思います。「自転車は車両であり車道が原則」というドグマは象徴的ですが、この点は、国や地方公共団体としては、ある意味当然の力学なのかもしれません。個人のルール遵守・マナー尊重の問題にしてしまえば、出費は抑制できるからです。

でも、それが問題の解決のために効率がよいかは、別問題です。個人にコストをつけ回した結果、利用自体が抑止され、得られるべき利益が得られなくなれば、社会全体としては損の可能性もあるからです。


結局の所、キーになるのは、自転車利用が拡大することでいかなる利益が得られるかのアピールにあるように思えます。ここはDの立場を取るものとしては、もう少し頑張らなくてはならないなと。

実は、この利益の点はUKにおいてかなり広くシェア・アピールされているのですが、これは次回ということで。

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