2017/02/06

「車道通行をインフラで誘導することで歩道通行が消滅した理想の世界」の損得

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現在の安全で快適な自転車利用環境創出ガイドラインは、通行インフラにおいて車道上のインフラに誘導する理由として、現に車道を通行している人の安全向上に加え、
車道通行を基本とした自転車通行空間整備を促進することは、「自転車は、車道が原則、歩道は例外」、「車道は左側を通行」等を国民に周知し、浸透させる上でも有効である。 
と、単にやむを得ない、を越えた積極的な意義づけを見出しています。

今回のお題は、この「周知浸透」がされた、歩道通行をする人がいなくなった世界(理想の世界)がどういう世界なのか?という点。

現状の世界と比較して、簡単に損得を考えてみましょう。

1 理想の世界では、車道通行できる人しか自転車に乗らなくなることにより ①自転車を利用している人のしあわせの総量は減るけど ②車道通行をしている人のしあわせの総量は増える

内閣府の資料によれば、日本では自転車が7000万台程度あるみたいですね。

そのうちどの程度が活用されているかは分かりませんが、日本の全ての自転車利用者がある期間(たとえば1年)に自転車を利用することによる「得」「しあわせ」の総量をXとしましょう。

さて、このX、理想の世界では減るでしょうか、増えるでしょうか。

ここは、減る、というのが、ほぼ確実な答えのように思えます。

なぜでしょうか。

世の中には2種類の人がいます。「車道を走れる人」「歩道しか走れない人」です。
このうち、現在は
  • 車道を走れる人は、車道または歩道を走り
  • 歩道しか走れない人は、歩道のみを走っています。
ところが、理想の世界においては、その定義上、歩道通行ができないことが貫徹されているため、後者の「歩道しか走れない人」は絶滅します。

前者の車道を走れる人のみが生き残ります。

もちろん、現状から理想の世界に移行する間に、後者の「歩道しか走れない人」の一定数が「車道を走れる人」に頑張って移行していくことはあるでしょう。

でも全員が移行するなんて無理ですよね。

運動能力、心理的な障壁。

結果、自転車を利用する人は減ることを余儀なくされます。残るのは、元から車道通行が出来た人か、頑張って車道通行が出来るようになった人だけ。

結果、しあわせの総量には何が起こるでしょうか。
  • 前後ともに車道通行をしている人たちの幸せの総量は変わらず
  • 元々歩道通行しかできなかったけど、車道通行に頑張って移行した一部の人たちの幸せの総量は、これまでは小さかった自動車との事故リスクに晒されたり、頑張って努力しないとならなかった分、前より減ることになり、
  • 理想の世界においても歩道通行以外に選択肢がない人たちは、文字通り絶滅するため幸せはゼロになります
このように、X=自転車を使っているひとたちのしあわせの総量は減るのはほぼ確実に思えます。

もっとも、上記3分類のうち上2つ、すなわち、理想の世界にいて車道を走っている人たちの幸せの総量は、1に2の人たちが加わった分、現在の世界において車道を走っている人たちの幸せの総量より増えることになりますね。

2 歩道を歩く歩行者の事故は絶滅する

今、歩道を歩く人を自転車が加害する事故が問題になっています。

これによる「損」「ふしあわせ」の総量をYとします。

歩道通行がいなくなった世界ですから、歩道上の事故はゼロになります。

これはいいことですね。

3 XYを比較してみよう

理想の世界と現実の世界を比較すると、自転車利用者のしあわせの総量Xを減らして、その分、歩道で事故にあう人のふしあわせYをなくそうとしていることが理解できると思います。

ただ、問題は、XとYの比較が、ちょっと難しいことです。

まず、Yについては、事故がなくなった、ということで、明確にカウントが可能です。死者負傷者ゼロ、分かりやすいですよね。

これに対し、Xについては、ちょっとトリッキーです。

上記の3分類、すなわち
  1. 前後ともに車道通行ができた人
  2. 前は歩道通行しかできなかったけど、理想の世界でがんばって車道通行ができるようになった人
  3. 歩道通行しかできず、理想の世界では乗るのをやめちゃった人
で考えてみましょう。

まず、1については、幸せの総量は前後でほぼ変わりません。厳密にいうとペイントとかで僅かに走りやすくなるのかもしれませんが・・・

2については、幸せの総量が減るわけですが、この中で一番大きいと思われるのは「歩道を走っていれば事故にあわなかったのに敢えて車道に入ったために事故ってしまった」パターン。
それ以外にも、怖い思いをしなければならないとか、乗る回数が減ってしまうとか、そういうこともあると思います。

3についてはもう少し見えにくい。
乗るのをやめてしまうために事故は生じないのですが、その分、生活に不都合が生じてしまう。結果として例えば引っ越さなくてはならなかったり、極端な例では運動不足で病気になったり。いろいろなデメリットがあるのでしょうが、事故が増えた/減ったような簡単なカウントができない。

4 とりあえずは事故による被害で比較してみよう

こんな感じで、現実の世界と理想の世界の損得を比較するのはそう簡単ではないのですが、たぶん

理想の世界で歩行者の被害が減少した分より「理想の世界でがんばって車道通行に移行した人」の被害が大きく増えれば、理想の世界は、おそらく失敗している

とは言えそうではないかと思っています。人の命に軽重はないのですから、死亡・負傷といった事故被害は比較的シンプルに比較できそうだからです。

ここでは、第3分類、歩道通行しか出来ない人がいなくなったことによるしあわせの減少はカウントされていません。被害の総数の増加にこれを加味すれば、よりしあわせの総量は減っていることになる。


てなことは言えそうなんではないか、と思っています。


私が、歩道の事故防止は必要と思いつつも、「理想の世界」として車道通行に固執するのはイマイチじゃない?自転車のプロテクションを時と場合に応じて選択しようよ?と繰り返し述べているのをすっごい単純化して説明すると、こんな話になります。

5 仮に歩行者の被害減のメリットが多くても、それは「自転車活用」なのか・・・?

最後に。

我が国においては、この「理想の世界」を目指すことを、自転車活用というタイトルを付けて語る人たちがいます。

たしかに、上記の比較の結果、自転車乗りのしあわせの総量が減るよりも歩行者のふしあわせを大きく減らせれば、社会的には得なので、それはそれで正当な話だと思います。

ただ、その意味するところは、あくまで「自転車乱用防止」であり、「自転車活用」とはいえないのではないでしょうか。

この理想の世界を目指すということは、3の人たち、すなわち、いつまでも歩道でしか自転車を乗れず、歩道の歩行者にリスクをまき散らす人たちを絶滅させようという試み。

私は、これは「乱用防止」というタイトルのほうがよっぽど適切と思っています。

そうではなく、自転車活用のためには、このようにとても厳しい「理想の世界」ではなく、もっと現実的な、車道を走れない人に配慮したプロテクションを柔軟に選択していこう。

そうやってはじめて「自転車の活用」、すなわち、歩行者の被害の減少と、自転車に乗る人たちの「しあわせの総量」の向上を同時に果たせるものと考えています。

2 件のコメント:

  1. こんばんは。ええと,ガイドラインを隅から隅まで読んだわけではないので申し訳ないのですが,歩道を走れないようにしてやる! とは書いていないのではないですか? 歩道通行を可能とする例外規定をなくそうとかそういう内容は見当たらなかったのですが…。主題というか理想はあくまで「歩行者・自転車・自動車が安全快適に移動できる空間づくり」ですよね。そういう読み方はあまりにも素直・無邪気にすぎますでしょうか。

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    1. コメントありがとうございます。

      歩道通行を可能とする例外規定のうち一番広く用いられている自転車歩道通行可の表示については、I-20において、プロテクションの程度の低い専用通行帯が整備されたのみであっても、解除するのが原則とされとえり、歩道通行の認められる範囲が狭くなることが企図されているように思います。


      また、冒頭の引用箇所(ガイドラインI-16)

      ”車道通行を基本とした自転車通行空間整備を促進することは、「自転車は、車道が原則、歩道は例外」、「車道は左側を通行」等を国民に周知し、浸透させる上でも有効である。”

      からは、皆が歩道通行を慎むようになるのを理想としている点が読み取れるように思えます。


      本ガイドラインの一番の問題と思うのは、上記のように歩道通行を減らすことを明確に目標にしながら、では車道上で与えられるプロテクションについては、構造分離自転車道という選択肢があるにもかかわらず、そこから遠ざかろうという意図が見えることです。そう公言している人たちもいますね。

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