2017/02/19

アンバンドルされた世界でいち消費者が自転車店に望むこと(2)バンドルからアンバンドルへ

#aminocyclo: アンバンドルされた世界でいち消費者が自転車店に望むこと(1): 最近私が有用と思っている考え方のフレームとして、 バンドル(抱き合わせ) アンバンドル(ばら売り) という区別があります。 バンドルの典型例は結婚。結婚は広い意味での契約の一種ですが、これをするかどうかによって、子どもの地位、税金、社会保障、相続といった広い...

前回記事の続きです。
今回のテーマは、私個人という一消費者が、どういうサービスを自転車店に希望するか。これをバンドル(抱き合わせ)、アンバンドル(ばら売り)というツールを使って、どう考えているのかを少し掘り下げてみようという話です。

前提ーお前は誰だ

今回のテーマの前提となるのが、そもそもお前は誰かということです。私の属性をご説明しないことには、「どうして」の点がよくわからないままになるでしょう。てなわけで簡単にピックすると
  • 男性30台
  • ネットショッピング等に抵抗がなく、またショッピング以外に必要な情報を探してこれる一定のリテラシーあり
  • 自己の時間(機会費用)と受けるサービスのフィーを比較して、後者が正当かつ機会費用と比して割安と思えば使う気はある。言い換えれば、何が何でもDIYで額面的な安さへのこだわりはない。
  • 他方で、趣味に金を払う以上、欲しいものにはあまり妥協しない。
てな感じです。

購入店とメンテのバンドル「気まずい・・・」

ご承知の通り、自転車は買って終わりではなく、パーツのグレードアップは大きな楽しみの一つですし、定期的なメンテナンスも欠かせません。

他方で、側聞するところでは、このグレードアップやメンテにかかる工賃(除くパーツ代)は、自転車店さんにとってはあまり美味しくない商売とのこと。

これにより起こるのが、多分皆さんの多くが聞かれたであろう次の台詞

「メンテについては当店お買い上げの方に限り・・・」

私も、自転車屋さんのホームページを眺めて、面白そうなお店を訪問することがあります。店主さんの人格が感じられるところが大好きです。

ある日、ちょうど比較的近所にあった店に足を運んでみたことがありました。ちょっと店主さんが面白そうな店だったからです。

上記の通り、私自身、仕事等の兼ね合いで、必ずしも全てを自分でやる時間はありません。正当な対価を払って、信頼できる自転車屋さんにメンテを任せたい気持ちはあります。

なので、その店主さんとの雑談がてら、メンテとかはどうなんですか?と聞いて見ました。

すると、少し曇った顔で「そうですね、、、そういうサービスならビルダーさんのお店でもやってるんじゃないですか」と言われてしまいました。

そのとき乗っていったのはあるフレームビルダーさんの自転車。そのお店もプライベートブランドのフレームを扱っておられたので、なるほど、そういうことなのだな、と。

それならやむなしということで、それっきりになってしまいました。

このようなことは、程度の差こそあれ、それなりにあるように側聞しています。ロードバイクのフレームの供給は代理店との関係で決まっており、そことの関係で売上を上げることが優先される。

フレーム供給→それを売る、というのがメインの収入源なのであれば、それとは無関係のタイムチャージの仕事は優先されないというのは、少なくとも短期的な勘定として理解できます。

念のために申し上げますが、同じ理由により、当該店主さんの行動がどうこうと言うつもりは全くありません。私のニーズと合わなかっただけ、それだけのことです。

バンドルと利益相反

ただ、もう少しこの関係を考えてみると、どうも長期的には自転車から人々の足を遠ざける要因になっているように感じてなりません。

例えば、こういうご経験はないでしょうか。

SNSその他ネットで気に入ったパーツを見つけて、これを自分の自転車に付けたくなった。早速、いつもお願いしている自転車屋さんに聞いて見ると、取扱いがない、という。

それだけならまあやむを得ないともなりますが、それに引き続き、「うちはこれを扱っていて・・・」と、別のパーツを示される。

これは、まさに「バンドル」。店舗のサービスが、その店舗が販売する物品と「抱き合わせ」でなければ受けられない。

こうなると、私は、ウーン、と思っちゃう人間なのです。趣味なのですから、自分の欲しいモノが欲しいのであって、お店が儲かるものを買う立場にはない。

他方で、ネットをみると、そのパーツが僅か数日で宅配されてくる。それも、店頭よりも安い価格で。

ここでどういう選択をするか。おそらく、5つの選択肢があるように思います。

  • 1A 当該パーツを取扱うお店に行って、そこで付けてもらう。
  • 1B 当該パーツを取り扱うお店に行って、買って、それをどこかに持ち込んで(必要なら追加チャージを払って)付けてもらう。
  • 1C 当該パーツを取り扱うお店にいって、買って、それを自分で付ける。
  • 2A ネットで買って、それをどこかに持ち込んで(必要なら追加チャージを払って)付けてもらう。
  • 2B ネットで買って、それを自分で付ける。

このうち、現実的な選択肢なのは1A,2A,2Bの3つです。というのも、ネット価格はほぼ店頭価格より安く、また移動の手間が省けることを前提とすればわざわざ高い値段を払って、1B,1Cの選択肢を選ぶ理由はないからです。

そして、2Aについても、「バンドル」を理由に持込お断りならどうでしょうか。選択肢は1Aと2Bしかありません。

この2つの選択肢を示されて、じゃあやめちゃう、という人もそれなりにいるかと思います。それはまず業界全体にとっての商機の損失です。

もう1つ、ありそうな流れは、勉強もかねて、工具も揃えて、2Bの道に進む方法です。1Aは機会費用が高い。それだけのために店頭を探し回るよりは、工具もネットで、知識もネットや友人から入手して、自前でやってしまう。

結局、ここで起こっていることは、店舗が、顧客の本当に欲しいモノよりも短期的な利益を追求した結果、多くの人が「自分でなんとかしちゃう」ように誘導しているように感じられるのです。

ネットでいろいろなパーツが見つかる時代において、バンドルに拘ることは、消費者をDIYに走らせ、長期的には自転車屋さんから足を遠ざけるのではないか

これに対し、反論としては、「自転車はリスクがある乗り物であり、そんなDIYは危ない」というのが考えられます。

もっとも、これに対しては、「その正論にはあまり意味が無い」ということになろうかと思います。

ご指摘の通り、DIYにリスクはありますが、そもそも日本の交通環境でスポーツ自転車にのるリスクを受け入れている人にとって、DIYでやるリスクはさほど大きく見えないように思います。どっちも自己責任なのですから。

ここで欠かせないのはネットの存在です。ネットにいけば、自転車屋さんの「バンドル」を前提としたセールストークに晒されることなく、自分の欲しいものが店頭より安く手に入る。

あと欲しいのはプロフェッショナルとしての腕。
そこについてはそれなりにお金を払う気はある。

持込による追加チャージは構いません。

もっとも、追加チャージが大きいということは・・・分かる方には分かると思います。

UKのIndependent Shop

私のいるUKでは、元々中古自転車の流通が多いこともあり、出所を問わずメンテをする自転車屋さんは多いです。


例えば私がよく利用する上記店舗は、自己が代理店として扱う商品のかたわら、ネットで入手したパーツの組み上げや、全く無関係の持込メンテを請け負ってくれます。サービスのセットのほか、あらゆるメンテ・個別の組み付けについて、時給ベースで仕事をしてくれます。ネットからの持込も全然OK。

余談ですがこの店は地元Hackney出身、
Team SkyのTao Geoghegan Hart選手が出入りしていた店で、今でもお兄さんが働いていたりします。イケメンです。

特別安いとも思いませんが、なによりその機動性の高さにより、私はよく利用しています。

バンドル前提で「うちで取扱いがないので・・・」と嫌そうな顔をされるより、気持ちよくお金を払ってやってもらうほうが足が向くというもの。

このように、ユーザーが求めているニーズに、Independentなプロフェッショナルとして答えてくれること。

一消費者としての私は、バンドルされた供給のことを第一に考えるのではなく、アンバンドルされたサービスを個別に売ってくれるお店が欲しい、そう考えています。

2017/02/12

アンバンドルされた世界でいち消費者が自転車店に望むこと(1)

最近私が有用と思っている考え方のフレームとして、

  • バンドル(抱き合わせ)
  • アンバンドル(ばら売り)
という区別があります。

バンドルの典型例は結婚。結婚は広い意味での契約の一種ですが、これをするかどうかによって、子どもの地位、税金、社会保障、相続といった広い範囲の運命がセットで決まります。

これらが一体であることに実はあんまり必然性はなく、国によっても現にかなりの差があるのですが、一度決まったことは強固に人生を支配するため、人はこれに「ロックイン」(捕らわれる)されることになります。

バンドルされたものの価値が大きければおおきいほど、それを解消することも困難になります(得している方が嫌がるので)。

離婚において様々な名目でかなりのお金が払われることが多いのですが、それは、このようなセット販売に由来するところが多いのですね。

この反対が、ばら売り。結婚との関係で言えば、クリーニングを考えてみましょう。これまで家族で内製していた洗濯のような家事仕事を切り出して個別に提供するサービスは、これ以外にも多数生まれてきています。

ばら売りであるがために、1個1個の約束にかかってくる価値はそこまで大きくありません。「欲しいものを欲しいだけ」の世界。

将来これ以上買わない(関係を継続しない)ことに解約金みたいなのが生じることは基本的にありません。

私は、この違いを「定食文化」「アラカルト文化」と表現したりします。

日本に暮らしていると、レストランとかでかならずセットメニューがあるのですが、UKではそういうのがない店の方が多い。

世界の国々、社会ごとに、なぜここがバンドルされているのか、他方がアンバンドルされているのか、見ていると興味深い違いがあります。

私が見た限り、日本の社会はいろいろな場面でバンドルの度合いが高い。たとえば正社員という制度も同様。社会保障その他がかなり高度に統合されているからこそ、そうでない人たちとの格差がここまで目立ち、もはや身分とまで称されるようになっています。

他方で、日本において他国と比較してアンバンドルされていて面白いなと思うのは食料品を中心とする小売り。

自動車というモビリティが普及しているからでしょうか、チラシにおける小さな価格の差を捉えてショップアラウンド(ハシゴ)をする人は昔からいましたよね。1つの店にロックインする程度は低いように思います。都市部であればコンビニも自由に選べます。これに拍車をかけているのがご承知ネットショッピング。

UKではそこまで便利ではないですね・・・

さて、今回の話題は、自転車を使うときに、いち消費者の私自身が、こんなサービス・売り方であったら嬉しいな!という内容。これを、「バンドル」「アンバンドル」という基準を使ってちょっと考えて見ようと思いました。

ちょっと複数回に分けます。

2017/02/06

「車道通行をインフラで誘導することで歩道通行が消滅した理想の世界」の損得

現在の安全で快適な自転車利用環境創出ガイドラインは、通行インフラにおいて車道上のインフラに誘導する理由として、現に車道を通行している人の安全向上に加え、
車道通行を基本とした自転車通行空間整備を促進することは、「自転車は、車道が原則、歩道は例外」、「車道は左側を通行」等を国民に周知し、浸透させる上でも有効である。 
と、単にやむを得ない、を越えた積極的な意義づけを見出しています。

今回のお題は、この「周知浸透」がされた、歩道通行をする人がいなくなった世界(理想の世界)がどういう世界なのか?という点。

現状の世界と比較して、簡単に損得を考えてみましょう。

1 理想の世界では、車道通行できる人しか自転車に乗らなくなることにより ①自転車を利用している人のしあわせの総量は減るけど ②車道通行をしている人のしあわせの総量は増える

内閣府の資料によれば、日本では自転車が7000万台程度あるみたいですね。

そのうちどの程度が活用されているかは分かりませんが、日本の全ての自転車利用者がある期間(たとえば1年)に自転車を利用することによる「得」「しあわせ」の総量をXとしましょう。

さて、このX、理想の世界では減るでしょうか、増えるでしょうか。

ここは、減る、というのが、ほぼ確実な答えのように思えます。

なぜでしょうか。

世の中には2種類の人がいます。「車道を走れる人」「歩道しか走れない人」です。
このうち、現在は
  • 車道を走れる人は、車道または歩道を走り
  • 歩道しか走れない人は、歩道のみを走っています。
ところが、理想の世界においては、その定義上、歩道通行ができないことが貫徹されているため、後者の「歩道しか走れない人」は絶滅します。

前者の車道を走れる人のみが生き残ります。

もちろん、現状から理想の世界に移行する間に、後者の「歩道しか走れない人」の一定数が「車道を走れる人」に頑張って移行していくことはあるでしょう。

でも全員が移行するなんて無理ですよね。

運動能力、心理的な障壁。

結果、自転車を利用する人は減ることを余儀なくされます。残るのは、元から車道通行が出来た人か、頑張って車道通行が出来るようになった人だけ。

結果、しあわせの総量には何が起こるでしょうか。
  • 前後ともに車道通行をしている人たちの幸せの総量は変わらず
  • 元々歩道通行しかできなかったけど、車道通行に頑張って移行した一部の人たちの幸せの総量は、これまでは小さかった自動車との事故リスクに晒されたり、頑張って努力しないとならなかった分、前より減ることになり、
  • 理想の世界においても歩道通行以外に選択肢がない人たちは、文字通り絶滅するため幸せはゼロになります
このように、X=自転車を使っているひとたちのしあわせの総量は減るのはほぼ確実に思えます。

もっとも、上記3分類のうち上2つ、すなわち、理想の世界にいて車道を走っている人たちの幸せの総量は、1に2の人たちが加わった分、現在の世界において車道を走っている人たちの幸せの総量より増えることになりますね。

2 歩道を歩く歩行者の事故は絶滅する

今、歩道を歩く人を自転車が加害する事故が問題になっています。

これによる「損」「ふしあわせ」の総量をYとします。

歩道通行がいなくなった世界ですから、歩道上の事故はゼロになります。

これはいいことですね。

3 XYを比較してみよう

理想の世界と現実の世界を比較すると、自転車利用者のしあわせの総量Xを減らして、その分、歩道で事故にあう人のふしあわせYをなくそうとしていることが理解できると思います。

ただ、問題は、XとYの比較が、ちょっと難しいことです。

まず、Yについては、事故がなくなった、ということで、明確にカウントが可能です。死者負傷者ゼロ、分かりやすいですよね。

これに対し、Xについては、ちょっとトリッキーです。

上記の3分類、すなわち
  1. 前後ともに車道通行ができた人
  2. 前は歩道通行しかできなかったけど、理想の世界でがんばって車道通行ができるようになった人
  3. 歩道通行しかできず、理想の世界では乗るのをやめちゃった人
で考えてみましょう。

まず、1については、幸せの総量は前後でほぼ変わりません。厳密にいうとペイントとかで僅かに走りやすくなるのかもしれませんが・・・

2については、幸せの総量が減るわけですが、この中で一番大きいと思われるのは「歩道を走っていれば事故にあわなかったのに敢えて車道に入ったために事故ってしまった」パターン。
それ以外にも、怖い思いをしなければならないとか、乗る回数が減ってしまうとか、そういうこともあると思います。

3についてはもう少し見えにくい。
乗るのをやめてしまうために事故は生じないのですが、その分、生活に不都合が生じてしまう。結果として例えば引っ越さなくてはならなかったり、極端な例では運動不足で病気になったり。いろいろなデメリットがあるのでしょうが、事故が増えた/減ったような簡単なカウントができない。

4 とりあえずは事故による被害で比較してみよう

こんな感じで、現実の世界と理想の世界の損得を比較するのはそう簡単ではないのですが、たぶん

理想の世界で歩行者の被害が減少した分より「理想の世界でがんばって車道通行に移行した人」の被害が大きく増えれば、理想の世界は、おそらく失敗している

とは言えそうではないかと思っています。人の命に軽重はないのですから、死亡・負傷といった事故被害は比較的シンプルに比較できそうだからです。

ここでは、第3分類、歩道通行しか出来ない人がいなくなったことによるしあわせの減少はカウントされていません。被害の総数の増加にこれを加味すれば、よりしあわせの総量は減っていることになる。


てなことは言えそうなんではないか、と思っています。


私が、歩道の事故防止は必要と思いつつも、「理想の世界」として車道通行に固執するのはイマイチじゃない?自転車のプロテクションを時と場合に応じて選択しようよ?と繰り返し述べているのをすっごい単純化して説明すると、こんな話になります。

5 仮に歩行者の被害減のメリットが多くても、それは「自転車活用」なのか・・・?

最後に。

我が国においては、この「理想の世界」を目指すことを、自転車活用というタイトルを付けて語る人たちがいます。

たしかに、上記の比較の結果、自転車乗りのしあわせの総量が減るよりも歩行者のふしあわせを大きく減らせれば、社会的には得なので、それはそれで正当な話だと思います。

ただ、その意味するところは、あくまで「自転車乱用防止」であり、「自転車活用」とはいえないのではないでしょうか。

この理想の世界を目指すということは、3の人たち、すなわち、いつまでも歩道でしか自転車を乗れず、歩道の歩行者にリスクをまき散らす人たちを絶滅させようという試み。

私は、これは「乱用防止」というタイトルのほうがよっぽど適切と思っています。

そうではなく、自転車活用のためには、このようにとても厳しい「理想の世界」ではなく、もっと現実的な、車道を走れない人に配慮したプロテクションを柔軟に選択していこう。

そうやってはじめて「自転車の活用」、すなわち、歩行者の被害の減少と、自転車に乗る人たちの「しあわせの総量」の向上を同時に果たせるものと考えています。

2017/02/03

自転車に進路を塞がれたあるドライバーが取った行動


Jeremy Vine road rage driver who made a 'gun' gesture faces jail | London Evening Standard



昨日2月1日のロンドン・イブニングスタンダード紙にこんな記事がありました。
「路上でサイクリストに対して怒り狂い、銃のジェスチャーを取ったドライバーが収監の危機」とでも訳せるでしょうか。

百分は一見にしかず。
※暴力的な表現が含まれます※


  • ~25秒
    ロンドンではこのように両側に路上駐車が公認されている場所が多いです。そのような場所では一方通行が採用されているわけですが、自動車一台とちょっとの幅しかありません。
    そのため、自転車がドアゾーンをさけて走行すると、必然的に自動車をブロックすることに。
  • 25秒
    前を塞がれたからか、クラクションを鳴らし始めるドライバー
  • 30秒
    車間を詰めてくるドライバー。危険を感じたサイクリストは・・・
以下はご覧の通り。

このドライバーが絡んだのは、BBCに務めるテレビの有名人。
彼が装着していたウェアラブルカメラという動かぬ証拠により、このドライバーは
  • 他の道路利用者に合理的な配慮をせずに運転したこと
  • 脅迫的で口汚く、かつ侮辱的な表現をとったこと
の2点において有罪とされました。

ドライバーは近時にも執行猶予付の有罪判決を受けており、いわゆる実刑、収監となる可能性があるということです。