2016/05/04

外国人の観光客を誘致することと「外国人のマナーが悪い」ということの関係

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きっかけは、このツイートでした。伊豆大島で開かれた自転車のアジア選手権についての地元自治体の振り返り。
多くの外国の方が来島したため、一部の国のマナーの悪さや交通ルールを遵守できない等の問題が発生し
という下り。
私は、おいおいそれはないだろう、と思ってしまったのです。

日本を見渡しても、すくなくとも表向きに「観光客誘致」を掲げない自治体は存在しないでしょう。少なくとも私は知りません。

国際的な競技大会というまたとないチャンスに恵まれながら、こんなことをオフィシャルに言ってしまうのは、あんまりではないか、と思ったのです。

なぜそう思ったのか

理由は2つ。規範的・倫理的な面と、実利的な面です。

1つめ、規範的な面について

その国にはその国ならではのお作法があります。「マナーが悪い」とされた来島者も、出身国のスペクトルで見れば、そう大きく逸脱した人ではないはず。

もちろん、ミニマムなルール、例えば日本における犯罪に到れば別でしょう。そのような最低限のルールは、厳しくエンフォースされるべきです。

しかし、マナーは時と場合による。日本国内においても違いうる。柔軟なものです。

マナーが悪い、と感じられたとしても、外国人によるそのような行為自体には、直ちに非難可能性はないと私は考えます。マナーは国によって違う。外国人客の立場から見ても、日本に来たから直ちに日本に合わせろというのは、期待可能性がない。そもそも知らないし、言葉で説明されても、なかなかぱっとは実践できないからです。

したがって、本件のように外国人が来る場合には「マナーが悪い」と倫理的に非難するのではなく、あくまで「マナーが違う」と考えるのが筋であるように思います。

我が国において、ご承知の通り、昨今「観光立国」という言葉がよく使われます。このような言葉を掲げた上で外国人観光客を誘致するのなら、各国間のマナーの違いは、当然の前提として織り込まれるべきです。

マナーの違いを受け入れることで、それへの対応のコストは生じますし、その分担については色々なアレンジが考えられますが、来てくれた外国人に対して、そのようなコストを生じさせたこと自体を非難するべきではない。

むしろ、非難するくらいだったら、最初から呼ぶべきではない。
呼んでおいて、来たら非難する、というのはあんまりではないか。

これが1つめの、規範的な理由です。

非難する気持も分かるという指摘

これに対し、次のような指摘がありました。
この指摘に対して、私は必ずしも同意できませんが、このように考えられる背景には、この種の非難に実利的な意味があるのかもしれません。

例えば、放っておいても一定の人を集める人気があり、かつ逸脱した者を非難する情報が流通することよってその人の「メンツ」を潰す効果があれば、一定の抑止効果がありうる。

公共政策の文脈では、Name and Shame, Public Censureと呼ばれる手法です。

しかし、この実利的な意味でも、外国人客に対して、マナーの違いを「悪い」と非難することには意味がない、むしろ損になる、問題を生じさせるように思えるのです。

2つめ、実利的な面について

非難されることを知ることによって、外国人観光客の足は遠のくのではないか

上記のように、非難が抑止という実利的な効果を有するためには、非難されないためのコスト(外国人観光客に関して言えば「郷に入っては郷に従う」を実践する)をわざわざ払っても、その国/コミュニティ/グループに入っていきたいという欲求や実利が必要であるように思えます。

そうではなく、他にもいくらでも同じような代替案があり、そこでは非難されないためのコストを敢えて払う必要がなければ、どうでしょうか。

世界中の国と競いつつ観光客を呼び込むことは、後者のような状況であると考えられます。

日本は、あくまであまたある国の1つ。他にもいろいろ魅力的な国はある。
そういうなかで、日本だけ「郷に入っては郷に従え」を厳しく要求し、そうでなければ小言を言われる。

そんな情報が流通したら、どうでしょうか。

「じゃあ、いいや」

ってなっちゃいそうな気がしませんか。

「相手が悪い」「相手が変わるべき」というマインドは、合理的な対策を阻害する

さらに、この非難は、受け入れる側のマインドにも影響を与えます。

上記の通り、マナーは「違う」ものであり、非難されるべきものでない。

とはいっても、その違いによって、コストが生じるのは確かです。

しかし、生じたコストは、得られる利益と天秤にかけ、場合によっては料金に織り込むなどして、コストを分担する。ここには、様々なアレンジがあり得ます。

また、相手を非難することで抑止を試みるのではなく、デザインでよりよい行動に向けて"nudge"することも考えられます。

※あんまり訳がよくないらしいです。。。

相手を非難して望ましくない行動を抑止することは、日本国内では可能かも知れません。時々マスコミがそういう非難の拡散を行うことがありますよね。

でも、上記の通り、他にいくらでも代替がある外国人にとって、そんな抑止は期待できません。
むしろ、そんな非難をするような国だ、という評判が広がるリスクすらある。

余談ですが、私は、東京オリンピックを控えて最近話題になっている、刺青をいれた外国人に対して「シールを貼ってもらって入浴させる」という発想は、とても侮辱的であると考えています。そして、スポーツのセレブリティには、かなり大がかりな刺青をしている人も多い。そういう人に対して「郷に入っては郷に従え」をこのような方法で求めることは、上記の意味でのリスクが高いと考えています。

このように抑止を試みるのではなく、不可避のコストの分担や、デザインによって、コストの問題として淡々と処理する。

このような処理を受け入れ側で行うことは、できもしない相手の変化を期待するよりも、ずっと効果的かつ効率的ではないでしょうか。

相手を非難することは、このような柔軟な思考を阻害します。

「あっちが悪いんだから、なんで我々が対応する必要があるの?」

そうではなく、相手を非難しないことで、透明のコストとして見ることができる。
あとは、それをどうさばくかの問題に過ぎません。

コストとメリットを天秤にかけても、なお無理な場合だってある

こんな考えのもと、私は、外国人のマナーが悪いと非難することは、規範的にも言い過ぎだし、実利的にもデメリットが大きいと考えてきます。

ただし。

無色透明のコストとして考えるとしても、そのコストを減らす努力が必要なことは、言うまでもありません。そして、どこかでこれ以上コストを減らすのが無理となった時に、メリットと天秤にかけてペイしないのであれば、本件のようなスポーツイベントであっても地元の判断で「いらないよ」と言えるのは当然のことです。

そこで、敢えて「国家的イベントだから」と押しつけるのは、傲慢以外の何者でもありません。

私は、そのような考えには立ちません。

本件の文脈で言えば、まず自転車界サイドも、可能な限り地元に負担をかけず、地元の人も気持ちよく応援できるような努力をする。外国人との「違い」についても、その軽減方法を相手を非難しない方法で追求すべきです。

いくら頑張っても地元への負担が大きいのであれば、地元自治体はビジネスライクに「負担と実利が見合わないので」とイベントの現在または将来に向かっての開催を拒否できて然るべきですし、そういう反応に対して自転車界が怒り狂うのは、やはり違うと思います。
そういう意味で、高速船の上記対応については、とても正当な話ではないかと思いました。あんまりメリットがないので、特別扱いはしませんよ、と。

一朝一夕に出来る問題でもないし、自治体を批判して直ちにどうにかなる話でもない

これは私の懺悔です。

繰り返しになりますが、私は、今でも、外国人のマナーの悪さを取り上げる言い方は適切ではないと思っています。
ただ、このご指摘にもあるとおり、そのような考えが出るのは決して不自然なことではない。ここは私はブーメランに陥っています。

そういう声が出ることは無理もないこと。
例え適切でないとしても、やたらに言うのはどうなんや、という指摘は、その通りに思えます。
短気が過ぎる、みっともない発言であったように感じています。

特に、本件は、自治体の職員の方には大変な苦労をされたものと容易に想像できます。彼らは、イベントを成功させたいという任務と願望の一方、町民からは様々な苦情を受ける立場にある。そのような狭間で書かれた町民向けの文章であることは理解しなければならなかったと感じています。
非常にクリアかつ説得力のあるご指摘だと思います。

このような問題への対応、感覚の違いを埋めるというのは、一朝一夕ではできることではない。また、自治体だけが変わって/自治体を批判して変えさせて直ちにどうにかなる問題ではない。

ただし、この辺をきちんとフォロー出来ないまま国際大会を開くことには、どうしてもリスクが残る・・・

とはいえ・・・

ここまで書いた上での感想ですが、このような問題が一朝一夕に解決できないということは、うかつに地元負担の大きい国際大会を地方で開くことにはリスクが伴うということにほかなりません。

十分なケアが来場者・現地住人の双方に出来ない結果、負担と不満ばかりが残る。そこで上記のような言い回し=見込み客である外国人に向けての非難が吹き出すと、他への悪影響が大きい。

結局のところ、このような噴出が不可避なのであれば、最初に私が述べた「やめた方がいいんじゃないか」というのは、回り回って、未だに私の中では相応の説得力を有しています。多くの人が不幸になってしまうので。

皆さんはいかがお考えでしょうか。

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