2016/05/16

生きる価値のアンバンドリングと自転車

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今回は今まで以上にぼんやりとした話ですが・・・


自分がどう見られるか、ちょっと気になりながら
さあ、みんななんて言うかな
お似合いですよ、先輩!
まずはこれを。

終身雇用、年功序列、賃金右上がり。世界で日本が最も成功した資本主義モデルともてはやされた1970年代末から1980年代初頭を象徴するCMです。

「いつかはクラウン」という言葉

そして郊外の一戸建て

これは、私の親の世代。
所詮伝聞にすぎませんが、当時の人たちにとって、給料と地位、自動車、そして持ち家は、人生のステージが進むにつれ、不可分のものとして手に入るべきものであったかのような印象すらあります。

そして、多くの人がこれらを入手できるようになるにつれ、人は小さな違いを気にするようになります。

住宅の立地 東急新玉川線か東横線か?
自動車の車種 クラウンかカローラか?
地位 取締役か部長か課長か?

そんな蛸壺の中でドングリの背比べを続ける。
夢は「いつかはクラウン」

シンプルで幸せな時代だったように思います。

その後、日本の経済は現在に到るまで停滞しますが、このようなドングリの背比べ根性は、社会のいたるところに残っています。

これに対し、私がUKに来て思ったのは、ここにいる人たちは、あまりにも違いすぎるということ。

肌の色といった外見から始まり、宗教、働き方、住んでいる場所、そもそも言葉だって全く違います。

※もっとも、究極的にはオックスブリッジのインサイダーが根本を抑えているところはあり、そのなか相当の均一性はあるように思います。

そんな世界にいると、少々の違いなんてどうでもよくなるように。そこで考えることは、自分の手持ち資源を前提にした上で、どこまでそれを効率的に活用してのし上がるか。

このような多様な世界においては、上記のような価値のセット販売はあまり成り立ちません。皆が同じようなものをセットで手に入るなんてあり得ませんし、そんなところでは、細かな違いなんてどうでもよくなります。

このような社会において、現在進行形で、自転車利用が大きく伸びている。これはとても象徴的な事のように思えます。

世界で最も給与所得が高い町であるシティの勤務者、同じ町でメッセンジャー、デリバリーを担う人が、同じ乗り物に乗ってサイクルスーパーハイウェイを疾走する。



これは何を意味するのでしょうか。

自転車が、環境問題や健康問題への有効なツールであることは多く語られています。

私にとっては、いまロンドンで起こっていることは、自転車が多様性ある社会において果たす役割をこれ以上無く象徴しているように思います。

生きる価値は、これまでのセット販売から、今後ますますアンバンドリングされていくでしょう。その中で、自転車というツールが果たす役割は、どんどん大きくなるように感じています。

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