2016/05/18

「ルールを守る」で思考停止することによる損/ルールは交通安全の1ツールに過ぎないでしょっていう話

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てなことを言うとまた怒られるわけですが(誰からとなく)、現在の自転車インフラに関するメインストリームの議論で、最も疑問なのは、この点です。

道路交通法は所定の道路状況を前提にした調整ルール


道路交通法は、道路インフラが場所によって様々に異なることを前提に、当該インフラの状態に応じて、複数の利用者(自動車、軽車両、歩行者・・・)の利用の調整を行うことをその内容にしています。
第一条  この法律は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする。
 ただし、このルールは、道路をどう作るかについては、一部の設備(例えば、信号機)を除き、規定していません。どういう設計をすれば安全な道路になるかは、道路法を筆頭とする公物法が規定しています。

単純化すれば、道路交通法は、どのような道路にすれば安全か、という設計については語りません。道路交通法は、現状の道路を見た上で、「この場合は、こう走ってね」と調整しているに過ぎない。

例えば、道路交通法には、自転車道の規定がありますが、これは「自転車道がある場合」の規定に過ぎません。同様に、歩道通行の規定もありますが、これも「歩道がある場合」の規定です。

当たり前のことですが、歩道通行のルールがあるからといって、自転車が走るための歩道を作る義務が生じるわけではありません。ただし、実際の政策立案においては、そのような事実上の影響があったのは確かなように思えますが。

交通ルールは、道路設計とともに、安全で円滑な交通を実現するためのツールの1つに過ぎません。

(特定の状況を前提にした)交通ルールが至上のものであり、道路設計もこのルールの理念に基づいてやるという考えは取り得ないと考えます。

メインストリームの議論:ルールが設計をジャックする

これに対し、メインストリームの議論は、どうも違う考えのようです。

「自転車ネットワーク計画策定の早期進展」 と「安全な自転車通行空間の早期確保」 に向けた提言
平成28年3月 安全で快適な自転車利用環境創出の促進に関する検討委員会
http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/cyclists/pdf5/proposal.pdf

ここには、次の下りがあります。
暫定形態での整備は、現に車道通行している、もしくは今後、車道通 行に転換する可能性のある自転車利用者の安全性の向上を図ることを 目的とするものであるが、「自転車は、車道が原則、歩道は例外」、「車道は左側を通行」等を国民に周知し、浸透させる上でも有効であるこ とから、整備を促進すること。
ご存じでない方のために説明すると、この「暫定形態」の整備とは、本来はもっとプロテクティブな設備、例えば自転車道等を設置すべき場所において、やむを得ず「車道混在」等の方法を採用する場合の整備方法を指します。

この「暫定」という言葉から分かるとおり、「暫定形態」の名の下に整備が行われるということは、その場所が本来もっとプロテクトが与えられて然るべき危険性が高い場所、という発想が論理的な前提となっています。

しかし、メインストリームの議論は、このような危険性が高い場所の暫定整備について、車道通行という道路交通法の特定のルールを「周知する」という積極的な意義を見出しています。
上記の通り、本来、交通ルールは、所与の道路の状態を前提にして、その後に考えるもの。

ところが、検討委員会の結論は、道路交通法の「車道通行」を、道路の設計より上位に置いているという関係にあるのではないか。

なぜそう言えるのか。

検討委員会自身が「暫定形態」と表現する通り、同委員会も、道路設計単体で見れば、もっとプロテクティブな、例えば自転車道の設定が必要なことは認めている。

そして、自転車道が設定されれば、車道通行原則の出る幕はありません。なぜなら、車道通行のルールは、自転車道がない道路における規定だからです(道路交通法63条の3参照)。

車道通行原則というのは、ある状況を前提とした調整ルールに過ぎません。このルールが、本来望ましくない「暫定形態」に積極的な意義を与え、道路整備を「裏口からジャックする」。

控えめにいって、交通ルールの過大評価ではないかと。

ルールインテンシブな議論は、思考を硬直化させる ー 要するに損だよ

冒頭に戻ります。

ルールインテンシブな議論は、本来他のツール(例えば、道路設計)で解決すべき問題を全てルールの問題に押し込んで、教える(例えば、道路交通教育)または脅す(例えば、刑罰による抑止)の議論に終始します。

現に、上記検討委員会は「利用環境創出」という名前であるにもかかわらず、延々とルール教育の議論がされていたということ。

本件でいえば、安全性が第一であるはずの道路設計に対し、「教育」という意義を付与することが、その現れです。ルール思考の典型的な発想です。

しかし、説明した通り、この思考は、本来望ましくない設計に積極的な意義を与え、道路設計の議論に不当な影響を与えている。

これはどうかなと思うところです。

さらに、このルール至上の議論は、同時に思考の硬直化を招きます。

問題の解決のためには、ルール以外の方法も同じテーブルで議論されるべき。

既存のルール、それも特定の状況を前提とした調整ルールを不動のものとして他の整備を規定してしまうのは、本当に適切な解決を見逃してしまわないか。

端的に言って、ルールインテンシブな議論は「損」だと思うんです。

ルールの意味と損得を意識せずにルール遵守の有無で語るのはイマイチ

ルールには意味があります。

「ルールを守る・守らない」で思考停止し、それがどういう状況を想定し、何を、どの程度守っているのかというルールの意味を理解しなければ、ズレた議論になります。

場合によっては、ルールに頼ることはコストの割に効果が悪い、別の方法を採ろう、ということだってあり得る。

例えば車道通行原則を推し進めるのであれば、体力的に弱い利用者は自転車の利用を諦めることもあるでしょう。その点についてのマイナスも加味した上で、他の方法、例えば道路の設計で解決できないかを同じ土俵で検討すべきです。

設計の意義すら「車道通行原則に資するかどうか」で考えるのは、議論が歪みはしないでしょうか。

どうなりますかねえ。

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